私は高3です。今年野球部を引退しました。
小5から野球を続けていましたが、決して上手くはなかったです。それでも、努力すれば結果が必ず返ってくると信じてやってきました。
結局、最後まで結果は残らずに終わってしまいましたが、粘り強さと根性を…
と、これは面接のときに言う台詞にしか過ぎません。私が本当に欲したのは野球の上手さです。実際に、私と同じような人は大勢います。その中でも、結果が残る人はわずかです。そういう人たちを基にした話が、「やればできるんじゃないか」という気にさせてくれるのだと思います。しかし、私は本来欲しかったものに手が届かなくて、悔しさと虚しさでいっぱいでした。この記事を見て、省みさせられました。
しかし、私は研究者になるために大学へ行きます。研究者は自分の論文が評価されなければやってけない仕事です。そこでまた挫折を味わうかもしれません。むしろ、そうなることを確信しています。自分は、呼吸をするように勉強をしている人間ではありません。そういう人間には足下にも及ばないでしょう。
それでも私は進みたいと思います。根拠は、生き物らしく生きるためです。私がしたいことをしたいからです。この考えはバカで無謀で愚策かもしれません。でも、バカっていうのは悪いことじゃない気がします。「バカだな俺は、どうしてこんな道選んだんだよ」というのが私の夢です。運良く成功したらそれとなく喜びます。
なんにしても、難しいフィールドで競争することが人間、いや、生物にとっての淘汰であり、人間が生き物らしく生きるための「生存戦略」であると思います。
私は、きっと何者にもなれないということを、わかった気でいるのでしょうか?
(via thresholdnote)
「自殺をしたら、友達が途端に増えるよ。
今までろくに向き合ってくれなかった人達が、一気に自分を親友扱いしてくるよ。
よく知らない人に「あの子は優しい子だったの」って知ったようなことを言われたり、
助けて、って何度も伝えたのに助けてくれなかった人に「そこまで追い詰められていたなんて」って間抜けなことを神妙な面持ちで言われたり、
たくさんの人達が「あのとき私があ~してあげていれば、こうしてあげられていれば」って自分を責め始めたり、
見てみぬふりしてきた人が「大好きだった」とか意味不明なこと言ったり、
あげく、こっちが言ってもいない言葉を「○○(彼女)がこう言ってくれている気がした」とか、
恩も義理もないのに「天国で見守っててね」と頼まれたり過信されたりするし、
何年か経ったら、知り合い程度だったはずの人が「昔、親友を救えなかったことがあってさ」とか、さも人生経験ありますよ、みたいな顔して語りだすでしょ。
考えただけでゾッとする。
死ぬより怖い。
そう思ったんだ」
— 酒井若菜オフィシャルブログ「ネオン堂」Powered by Ameba (via kazukij)
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